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南海流浪記
仁治四年二月十四日、守護所之許より、【鵜足津】(うたつ)の橘藤左衛門高能と雲御家人之許へ被預、十五日、在家五六丁許引上りて、堂舎一宇僧房少々有所に移しすへらる、此所地形殊勝、望東孤山檠夜月、月勧輪観之思、顧西遠島含夕日、催日想観之心、後松山聳海中至、前湖満時砌近指入る、 さびしさおいかでたへまし松の風浪もおとせぬすみかなりせば、さて常に後の山に登りて海上島々お眺望、為海中鱗類作自性能加持之法、有時浦に出て昔向山々お問へば、備前小島備中備後迄見え渡る、〈◯中略〉或時山にのぼりてみわたして、 うたつかたこの松かげに風立ば島のあなたもひとつ白波