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全讃史
一都邑
高松城 香東郡篦原郷に在て、東讃の治城なり、天正十八年八月、生駒雅楽頭正規、全讃十八万石の地に封ぜられ、初め引田の城に入る、其東鄙にして不便なるお以て宇多津に移る、是亦西鄙にして不便なり、因て更に国の中央篦原郷お卜して城お築き、高松三郎の城名お取て高松(○○)と号し、旧の高松お古高松と称し、此城に移りけるに、其四世の孫壱岐守幼弱にして、内政不和なりし、寛永十七年、羽州由利に謫せられ、同十九年、水戸威公の御嫡子源英公東讃十二万石に封ぜられ、此城に修造お加へ入たもふてより、御子孫今に至る迄繁栄なり、