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宇和郡旧記

沖之島出入之事 一正保二年に国により絵図上り申時、鈴木治大夫、萩原仁左衛門、此島〈江〉渡り、境目被改候節、土佐領広瀬庄屋与惣左衛門、新右衛門雲者出逢申故断申達、宇和領分之絵図整申候、然所に正保三年秋、広瀬庄屋助之允と雲者、広瀬之境目郡合川おこし、此方かし地の内大川お境姫島はきれと境と雲、其後は姫島山の内に又境おたて、理不尽成儀申かくるより、双方口論初るなり、〈◯下略〉