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愛媛面影
四喜多郡
【新谷】(にひや) 元和三年、加藤左近大夫貞恭朝臣、大洲六万石お賜はる、其後次男織部正直恭朝臣、新谷一万石お分知すと俚諺集に見たり、其後代々相続し給へり、南に川あり、北に高山有て、海岸お隔る事二里許、自然要害の地なり、近世蝋紙等の産物多くして頗盛なり、殊に此辺田野開けて、喜多郡中猶豊饒の地なり、〈◯中略〉 【大洲城】(おほずのしろ) 旧名大津(○○)にて、天正の頃迄、宇都宮遠江守居城なりしお、後に大洲と改めたり、元和三年より加藤侯代々是お領し給へり、前には比志川の流お引て、城郭の遠望殊にめでたし、大津大洲みな比志川によれる名なるべし、〈◯中略〉 【長浜】(ながはま) 大洲城四里ばかり海浜なり、比志川の流此処に出て海に入、米穀の出入、魚塩の運送、すべて此所より船にて城下に輸す、猶便利なり、是によりて人家繁栄して頗盛なり、殊に近世蝋、紙等の産物多く諸国に運漕する事、みな此海浜によれり、