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筑前国続風土記
一提要
総論 此国平地広闊にして、村里絡謝せり、〈◯中略〉北海お帯び、南山お負たれば、魚塩多く、薪材乏しからず民部式に上国と定めしも宜成かな、且四方運漕の便よければ、此国の商売しば〳〵諸国に往来して、有無お交易す、又京大坂諸州の商客も、多く此地に来りて、貨財お商ふ、長崎に近くして、異国の物産お求め置に便宜し、肥前、対馬、中国、四国、和泉、紀州、北国、出羽、奥州等諸国の客船も、其土物お載せて多く援に至り集る故、民生日用のたから満ちて乏しからず、故に九州二島の諸国の人は、此国の城下福岡博多お一都会として来りつどひ、万の資用お買調ふ、誠に天府の国と雲つべし、