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筑前国続風土記
二十
怡土郡 日本紀には伊睹、伊都など書り、〈◯中略〉此郡は、南に高山長く連り、東に高祖山そびへ、其西北は広平の田地にして、村里多く相ならべり、北に志摩郡ふさがるといへども、海遠からずして魚塩とぼしからず、山野近くして薪木の便あり、川浅く下流塞がらずして、水患なし、多久村より西の方包石に至るまで、其行程五里は海に近し、此間は国の西裔にて、其形漸くせばし、凡国中にて、郡の長きは遠賀と怡土郡にしくはなし、此郡東は上原より、西は包石に至り、其長さ六里余、南北は広き所二里半計有、田地広く、山川美にして古跡しげし、村民に原田家司の子孫多し、田夫といへども言語賤しからず、頗る世事に馴れたり、隻恨らくは風俗質朴ならず、誠実すくなし、