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筑前国続風土記

那珂郡 日本紀神功皇后紀に儺県とあり、是此郡の事、国史に見えたる初めなり、日本後紀に、淳和天皇天長三年七月七日慶雲に筑前国那珂郡とあり、此時は已に那珂と書り、この郡西は早良郡に隣り、束は糟屋、席田、御笠郡に続き、南は山お隔て肥前に接し、北は海浜にいたる、東西短く南北長し、中に那珂川流れ、源より六里にして海に入る、水勢盛にして田地に漉事広し、故に大旱の歳といへども旱損の愁なし、深山少くして美材乏し、然れども郡中に福岡博多有、故貨財お交易するに宜敷、大底国の東西の中央に有て、四方運送の便よし、国なかに有郡なれば、那珂と名付るにや、