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筑前国続風土記

夜須郡 日本紀お考ふるに、仲哀天皇九年春三月壬申朔辛卯に、神功皇后層増岐野にいたり、則兵お挙て羽白熊鷲おうつてこれおほろぼし給ひ、左右に謂て曰、熊鷲お取得て、我心則安しとのたまふ、故に其所お号て安と雲よししるせり、此郡の号援におこれり、後に二字に改て夜須と書るならん、此郡は、南は筑後に境ひ、東南は下座に連なり、東北は嘉摩穂波に、山お隔てヽつヾき、西北は御笠に隣れり、境内に山川有て、其利すくなからず、土地肥沃にして、米穀多し、順和名抄に、夜須郡は東西とあり、今も栗田より東お東郷と雲、西お西郷と称す、