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筑前国続風土記

御笠郡 日本紀神功皇后紀に、仲哀天皇九年春二月壬申朔戊子、皇后羽白熊鷲お討んとて、橿日宮より松峡宮に遷り給ふ、〈松峡は竈門山の西麓有智村上にあり〉時に漂風忽に起て御笠お吹落す、故に時の人、其所お号て、御笠といふ、此郡の名援に起れり、〈近世は訛て三笠と書侍りしに、寛文四年五月、台命によつて旧名に復す、〉此郡、南は肥前筑後に境、東は夜須に連り、峯お越て嘉摩郡に隣りし、西北那珂席田郡につヾき、粕屋には小山お隔てつヾけり、古昔は官府のありし地にして、異国の藩屏として、九州の政お統べ行ひし所なれば、太宰の帥以下、数多の官府しば〳〵交代せし故、遺従古蹟碁の如くしき、星の如くつらなれり、其地たる、東西に高峯連り聳へ、南北は他郡の平原の地に通ぜり、泉清く土肥たり、古代の遺風にや、民俗いやしからず、