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万葉集

謹通尊門記室 筑前国怡土郡深江村(○○○)子負原、臨海丘上有二石、大者長一尺二寸六分、囲一尺八寸六分、重十八斤五両、小者長一尺一寸、囲一尺八寸、重十六斤十両、並皆堕円、状如鶏子、其美好者不可勝論、所謂径尺璧是也、〈或雲、此二石者、肥前国彼杵郡平敷之石、当占而取之、〉去深江駅家二十許里、近在路頭、公私往来莫不下馬跪拝、古老相伝曰、往者息長足日女命、〈◯神功皇后〉征討新羅国之時、用茲両石挿著御袖之中、以為鎮懐、〈実是御裳中矣〉所以行人敬拝此石、乃作歌曰、 可既麻久波(かけまくは)、阿夜爾可斯故斯(あやにかしこし)、多良志比咩(たらしひめ)、可尾能弥許等(かみのみこと)、可良久爾遠(からくにお)、武気多比良宜氐(むけたひらげて)、弥許々呂遠(みこヽろお)、斯豆迷多麻布等(しづめたまふと)、伊刀良斯氐(いとらして)、伊波比多麻比斯(いはひたまひし)、麻多麻奈須(またまなす)、布多都能伊斯乎(ふたつのいしお)、世人爾(よのひとに)、斯咩斯多麻比氐(しめしたまひて)、余呂豆余爾(よろづよに)、伊比都具可禰等(いひつぐが子と)、和多能曾許(わたのそこ)、意枳都【布可延】之(おきつふかえの)、宇奈可美乃(うながみの)、故布乃波良爾(こふのはらに)、美氐豆可良(みてづから)、意可志多麻比氐(おかしたまひて)、可武奈何良(かむながら)、可武佐備伊麻須(かむさびいます)、久志美多麻(くしみたま)、伊麻能遠都豆爾(いまのおつヽに)、多布刀伎呂可毛(たふときろかも)、