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日本鹿子
十四
同国〈◯筑前〉中名所之部 蘆屋(あしや) 遠賀(おか)湊と雲は、此所のこと也、北は海、東は入海也、西のかたに岡の松と雲あり、無双の景地也、水ぐきの岡の湊と雲も、右の遠賀と雲所也、松原有之北は海なり新拾遺春のうたに素暹法師 水ぐきの岡の湊の浪の上にかずかき捨てかへるかりがね 内浦浜(うちのうらはま) 是も岡の続き也、浜辺なり、此浜お行ば宗像へ出るなり、 宗像 此つヾきに生松原と雲あり、当国第一と申、神の植給ふ松也といへり、北より西へ海辺なり、東は山なり、宗像明神社有、神社の部にくはし、 桂潟(かつらがた) 宗像より南也、間ちかし、遠干潟せ、神の代に夷国おしたがひ給ひて、かつら岳と雲山にのぼりて、軍にはかつら浦との給ひしより、勝浦と雲也、その時の楯ほこ今に岩になりてあり、神代に放し給ふと雲馬の牧有之たてさきの薬師と雲も、右の岩のうへにたち給ふ也、 身の憂浜(うきはま) かつら潟より南也、西は海也、間三りのはまなり、 志加島 あかはた山 東は磯辺山につヾく也、海の中道と雲もちかし、はる〴〵と出たる島也、文珠堂有、志賀よりしんくうの浜と雲所まで三り也、拾遺恋の歌、 志賀の蛋の釣にともせるいざり火のほのかにいもお見るよしもがな 野古(のこ)の島(しま) 志賀より未申のかた也 からどまりのこの浦浪たヽぬ日はあれども君お恋ぬ日はなし 香椎(かしい)潟 志賀より中間三り也、西は海、東は山也、宮有之、神社の部有之、たぐひなき景地也、金葉雑のうたに、 ちはやぶるかしいの宮の杉のはお二たびかざすわが君ぞきみ 筥崎(はこざき) かしいより当所の中間おたヽら潟とて、東へ遠き干潟也、在所は北南へ遠し、八幡宮たち給ふ、社壇西向也、神社の部にくはしく有之、こヽにしるしの松とて有、神前より未申に井垣あり、戒定恵(かいぢやうえ)の筥埋られし所と雲々、依之筥崎と雲り、松原北南一り、下は白砂也、無双の松原也、博多ちかし、北は海也、此所お唐泊(からどまり)袖の港と雲といへり、拾遺神楽のうたに、重之、 いく代にか語つたへんはこ崎の松のちとせの一ならねば 生松原(いきのまつはら) 西南東陸、北は海なり、里有、博多より西也、中間一里なり、新古今別のうた、枇杷皇太后宮、 凉しさは生の松原まさるともそふる扇の風なわすれそ 産(うみ)の社(やしろ) 博多より東也、神社の部有之、 三笠(みかさ)山 森有之、応神生湯お此山にて召れしより、竈間山とも雲也、 あやしくも我ぬれ衣おきつる哉三笠の山お人にかられて 西都(にしのみやこ) 宰府也 木丸殿 朝倉山 思川 染川 三笠の森 宝満山麓也、天神の聖廟社壇南向也、府中の西のはし也、かるかやの関などヽ雲も此所也、 蘆城山(あしきやま) 三笠山より東也、あしき山より府中へ三り也、右之外旧記にとヾめし名所多有之といへども、あまねく人のしらざる分除之、