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大友記
大友由来之事 大友豊前守左近将監能直と申は、右大将頼朝公之御息也、其謂お尋るに、上野国大友四郎大夫経家之息女お頼朝寵愛まし〳〵、懐妊とならせたまひし時、大友斎院之次官親義にたまひて、後誕生なりしおんさうしお、市法師殿と申されしは此人なり、〈◯中略〉去程に、頼朝公富士之御狩おなしたまひし時、曾我兄弟かたきの工藤祐経お討取、剰御料之御陣に乱いる、頼朝公すぐに鎧お著し、打いだしたまふ所に、彼市法師殿、其比十一歳におはせしが、頼朝の御きせながにとりつき、君は是征夷大将軍にてわたらせ給ふに、是程の夜討なんどに、かろ〳〵しく物の具めさるべきに非ずと、頻に留め給へば、頼朝公猶と思召とヾまりたまふ其後幼少之ものヽ、きどくなる事お申たると御感あつく、豊後豊前両国おたまはり、豊前守左近将監能直と号、官位五位上、大友は氏たりといへども、能直正く頼朝の御子なるによつて、みなもとの氏おくだされ、義直より源氏になりたまひけり、かくて能直豊後国府内に下著あり、累代年久く、今の義鎮公まで十八代、めでたくさかえ給ひけり、