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豊前志
五仲津郡
在庁屋鋪 草場村に、在庁屋鋪と称ふ処あり、是れ国府の蹟なるべし、〈◯中略〉按ふに、在庁は国府に在る土著の官人お雲ひ、其の官人の居る府おも、在庁と雲ふなり、神宗定〈前記官幣宮祠官◯豊日別国魂宮〉が所蔵の天文十年、大内家の文書には、太宰府おも在庁と雲へり、出雲風土記、兵部式、三代実録等に、国庁と見えたるも、在庁と同じく国府お雲ふなり、扠和名抄に、国府在京都郡とあるは、甚疑し、若くは誤には非るか、或は往方京都郡なりしお、後に此の郡に移せる事のありしか、後紀に、延暦廿三年正月壬寅、遷但馬国治於気多郡高田郷、同四年十一月乙酉、遷摂津国治於江頭など見えたるは、国府お遷せる例なり、〈三代実録に、出羽国府お移せる事も見ゆ、〉但総社、国分寺、続命院など、皆当郡にて、近く隣村なるに、京都郡には、然る名の存れる事も聞えざるは、是は必源順ぬしの誤とぞ所思(おぼゆ)る、且草場、国作両村の西方に、高貴人の墳墓と思しきもの廿三あり、是れ国司四等の官人等お葬りたる所にても有りぬべく思ゆれば、傍国府は草場村なりし事、疑なかるべし、