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豊前国志
三下
京都郡の名義 日本紀景行天皇巻、幸筑紫到豊前国長峡県、興行宮而居、故号其処曰京也と雲々、此時より京都郡の名起れりと雲、如本文長峡県にいたりとあれば、是より前の名早く長峡県と雲ふ所と通(きこ)ゆ、此処は平尾の小山長く引出てある故に、長尾と古くより唱来りしものならん、此郡は高山深山もなく分内も狭まし、昔より京都仲津の両郡は国の中央にして、諸方への街の地なり、郡内土白く、砂交りに美敷く光りありて、明き土地なりけり、〈長峡の丘山四方に因りて山脈なし〉如長島、