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豊薩軍記

大友家系譜事 能直より二十代の嫡孫おば、大友左衛門督義鎮とぞ申ける、父義鑑(あき)の時より数け国お領し、殊に義鎮跨竈の才ありて、智謀いみじかりければ、武威列国に輝き、名ある武士皆其麾下に属して、豊府の繁栄前代に超過し、京鎌倉にもおさ〳〵劣るべからず、異国の商舶、初めは筑前の博多の浦に著けるお、永禄二年の秋より、豊後の府(○○○○)に著さしめられたりければ、都鄙遠国の商人きそひ聚りて、人馬常に駢闐として、道お避るに地なく、港には入船出舶舳艫おきしつて、舟子の叫声雑沓として嘩し、富栄の欧歌巷に満つ、誠に名に逢豊国の、栄る家こそ目出度けれ、