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西遊雑記

佐賀の関より臼杵(○○)城まで行程五里といへども、定かならぬ山道浜道にて遠し、戸次村抔といふあり、大友家戸次氏の出所といふ、臼杵城は往昔大友の真鳥と雲し人の事跡ありとも雲ひ、天文の頃は、府内大友の隠居城と称して、宗麟も老後此地に居城有しといへども、四方のかためもよき要害の城にて、風景も図〈◯図略〉のごときの所なり、 六月朔日岡(○)に至る、〈土人竹田と雲、当城は中川侯御知行、〉 岡の城は竹田城とも称す、かねて聞及びしより嶮城にして、眠おおどろかせしなり、海内三嶮城の最上と称せるもむべなり、〈◯中略〉町は大概よき町にして、諸品自由の地也、是は四五里の間、商町一け所もなき事にて、万事此城下ならで調ひがたきゆへ、何に不足なきやうに、商人のたくはへ置と見えたり、寺院も数多見え侍りき、