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人国記
豊後国 豊後国の風俗、其気質之廩る処、偏塞なる事、百人に九十人如斯と可知也、残る十人善といへども、気質之偏屈成内より出生するなれば、如形之風儀也、譬ば子おまびくこと、聖徳太子之宣ふこと、出家せさせて子孫の断絶する時は、其苗滅する所以成に、是理お飜却而、其生ずる処之子お殺害するの類に心得たる者、今も儘有之と見へたり、末世に至るとも此風儀成べし、如此の人之気質故に、其死お不厭事如鵝毛也、別而武士の風俗如右なれども、自然に国風おまぬかれんと思ふ人あれども、正智邪智お不弁而、其弁ずるところに従て国風お削らんとするといへども、正道に至事不克而、或は不覚お取り、或は邪智に迷て、億病おなす人も可有、多は勇勝而理闇き形儀多し、自然と気質之すなおなる人もあるべけれども、希なりとしるべきなり、