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古事記伝

さて肥国と雲より十三字、今は真福寺本及一本に依れり、此処旧印本、及延佳本、又一本などには、肥国謂速日別、日向国謂豊久士比泥別と作り、されど如此ては、上に有面四雲々とある数に合ざれば、〈◯註略〉日向国の無き方ぞ古本なるべき、然るに右の如く、日向国の加はりたる本は、旧事紀に依て、後入のさかしらに改めたる物とこそ思はるれ、〈旧事紀に右の如くあるなり、其は此記お取て記すとて、日向の無きお疑ひて、かの日向日とある亦名お其として、下の日字お国に改め、その下に謂字お補ひて、豊久士比泥別、お其日向国の亦名とし、又然為るときは、肥国の亦名、建一字になりて足ざる故に、次の熊曾国の亦名に効ひて、日別二字お加へ、又さては熊曾のと全同じき故に、建お速に改めつる物なり、凡て彼書は、かくさまのさかしらいと多し、されど上の有面四とあるには心つかで、其おば改めずて、偽の顕れたるぞおかしき、◯中略〉抑日向国の此に入らざることは、上代に其地は、なほ肥国と熊曾国との内にありて、未た別に一国には立ざりしなどの伝なるべし、