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西遊記

しらぬ火 筑紫の海に出るしらぬ火は、例年七月晦日の夜なり、むかしより世に名高き事にて、今も九州の地にては、諸国より此夜は集り来りて見る事なり、〈◯中略〉夜半にもなりしかど、知らぬ火のさたなし、今年はじめて見る人は、今宵はいかなる事ぞ、知らぬ火は出ざるや、但しはそらごとなりやなど口々にいふ、予〈◯橘南谿〉もあやしみ居たりしが、八つ近きころに、遥向ふに波お離れて、赤き色の火壱つ見ゆ、暫して其火左右にわかれて、三つになるやうに見へしが、それより追々に出る程に、海上竟(わた)り四五里ばかりが間に、百千の数おしらず、明らかなるあり、幽なるあり、滅るあり、燃る有、高き有、低き有、誠に甚見事にして目おおどろかせり、其火の色皆赤くして、灯灯の火お遠くのぞむが如し、たとへば大坂の天神祭りお火敷集て見るに異ならず、実に諸国より来り見るもいたづらならず、所の人に問ふに、年によりて、多きことも少き事も定らずとぞ、今年はすぐれて多く出たるも、予が幸ひといふべし、広き海中に出る事なれば、天草に限らず、肥後地よりも何れの浦にても皆よく見ゆるなり、しかれどもいかなるわけにや、高山にのぼる程多く見事に見ゆるとて、此山なども群集せるなり、