[p.1065][p.1066]
西遊雑記

肥前は、南方は海浜までも広々とせし田所にて、上々国の風土也、北は山連りて、筑前の国につヾけり、九州にては肥前の国は上方とも称し、見分せる所、風土上国と見ゆれども、民家の模様宜しからず、宿々間の町々にても、家宅甚見苦敷、神崎といふ駅は、此辺の市中にて、神崎千軒とむかしよりも称せる町にて、商人も数多にて、家作も大概よき所なれども、間々貧家の至て見にくき家居交りなし、是等も国風と思ひ侍りき、地の利如何と心付見しに、五穀は勿論、瓜西瓜おはじめ、菜類となるものは、何にても他国よりも出来立よく、菓物はいふに及ばず、草木のそだち迄もあしからぬ国也、然るに貧家の多きいかならんと所々にてさぐり聞しに、当国には大一といふて、福引に似て博奕よりも甚悪敷事の流行せるよし、此故お以て風俗までも古しへにかはりて、民家の体如此といひき、又雲ふ、運上にて領主より御免とも聞し、〈◯中略〉 肥前の国は、援へも彼所へも入海ちまたの如く、海と海との方お僅計切ぬきなば、舟通しの出来すべき所見ゆ、天へ上りて一眼に見おろしなば、地図も委敷、入海々々の様も正敷記すべきに、一度位の通行にては、此国の地利はしりがたく、十にして其一お記す也、海は中国筋の入江よりも深し、