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肥陽軍記

隆信公継村中正統事 一天文十七年三月廿二日、竜造寺の正統豊前守胤栄公卒去せらる、〈法名堅誉葬無量寺〉此の人大内氏の吹挙により、肥前国の守護代にほせられ、五千町お加封し、人普く仰ぎ申せし也、其簾中は故家門公の御娘也、姫一人おはして世お継ぎ給ふべき男子なかりき、是によつて長臣小川筑後守と、竜造寺播磨守など相議し、還俗の君お以、竜造寺の嫡流お継がせ申べしとて、則迎かへとり申、胤栄公の後婦人にあはせまひらせ、御家督とぞ仰ぎ奉ける、同十八年、大内義隆に加冠おこふて竜造寺山城守隆信公と申、