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肥後国は、ひごのくにと雲ひ、旧くは、ひのみちのしりと雲ふ、本と肥前と一国にして、火国と称せり、西海道に在りて、東は豊後、日向、南は日向、薩摩、北は筑後、豊後に界し、西は海に至る、東西凡そ十九里、南北凡そ二十八里、其地勢は、三面重嶺連宣し、東南殊に峻険お極む、而して西に天草群島あり、肥前の島原半島と相対峙して内洋お成す、此国は古へ国府お益城郡に置き、玉名(たまいな)、山鹿(やまが)、菊池(くくち)、阿蘇(あそ)、合志(かはし)、山本(やまもと)、飽田(あきた)、託麻(たくま)、益城(ましき)、宇土(うど)、八代(やつしろ)、天草(あまくさ)、葦北(あしぎた)、球磨(くま)の十四郡お管し、延喜の制、大国に列す、明治維新の後、益城郡お上下二郡に分ち、山鹿、山本の二郡お合せて鹿本郡お置き、合志郡お菊池郡に合せ、飽田、託麻の二郡お合せて飽託郡お置き、新に熊本市お設け、熊本県おして之お治せしむ、