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肥後地志略

肥後大意 抑肥の後州は、もと肥前の国と一国なり、〈◯中略〉日本後紀に曰、延暦十四年十月乙卯、肥後国お以て為大国、宋志には火児と記し、武備志には非谷と書たり、往古は阿蘇の国、葦北の国、天草の国は、火国と別国にて、各国造お置ると旧事記に見えたり、国造とは国の司といふ、後に阿蘇の国蘆北の国、天草の国お、火の国に合せて一国とし、郡の名となせりとなん、後に火の字お肥にあらたむ、