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閑田耕筆

或説に、肥後東南五け山といふは、平家の族遁隠れし所にて、村中皆先祖の称号お伝へたり、其氏神と崇る社は安徳帝お祭り、御璽は宝剣なりといへり、因に一説有、緒方三郎は無二の平家の方人なるに、俄に心変せしといふは、実は平家の勢とてもさヽふべからざるお知りて、帝おはじめ奉り、一門の然るべき人々お、此五け山に隠せるがための謀なり、其後つひに戦まけて入水せるは、皆其さまお真似たる人なりといへり、奥州の泰衡が頼朝卿に従ひて、却て義経お蝦夷に落せしといふ話に似たり、是猶実否は今定がたき事なるべし、