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倭訓栞
前編二十五比
ひうが 日本紀に日向およめり、和名抄にひむがとも見えたり、朝日直刺夕日日照国なるよしも紀に見えたり、凡て神代は、皆日向の国に都したまへり、景行天皇も、行宮は高屋宮といふ、神代紀に、筑紫日向小戸橘之檍原と見えて、日向の名初て出たり、されど此事蹟筑前にありて、日向ならざる事、松平氏貝原氏などの説にくはしく見えて、日向お九国の総名などいへり、今文意お詳に考れば、日向の小戸は橘之檍原に対して、日向も橘も所謂枕詞也、日向は日に向ふ所おいふ也、一国の名にあらず、もとよりひむきとよむべし、