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日向経緯略記
日向州、〈◯中略〉此国の経緯の度数、東西は直径三十九分、南北は西の境にて二十分、東の海辺にては三十分あり、天度一分お地の二十町に当るの法お以て約すれば、東の海辺より、肥後の山の奥までは、大抵二十里許り、南北は西の境にては十里余り、東の海辺にては十五六里あり、今地理平均の法お以て詳かにするに、四方一里の土地凡そ二百許あり、頗ぶる広き国土なり、当国は東一面は大海に臨み、其の東北の隅、豊後国界の海岸に嶷然として、海中に岬出たる秀嶺あり、此お大岳と名く、西海お航行の表的とする所なり、此の大岳お初めとして、此の国の東北より北なる豊後の界は、悉く峨々たる山岳相ひ畳なり、其の勢ひ恰も波涛の如く、其中に於ても祖母岳箱岳(うばがたけはこのみね)等は、共に世に名ある大山なり、又西北に肥後の阿蘇郡に界する処と、西方肥後の八代郡に界する処とは、別して山畳り、谷深くして、其の中には極めて広大峻秀なる山あり、西南は肥後の米良郡お界し、西方も又米良に界す、此境は山遠く谷幽にして、人家あること希なり、唯だ東南のみ高山少なしと雖ども、然れども散漫たる小山極めて多く、中央及び東の海辺も亦然り、故に此の国内には、平地は甚だ少なくして、山岳のみ多し、是お以て諸山より発源する所の河も、又甚だ多く、時々水難あり、先づ南の境には、神門河、小田河、潮見河、神河等あり、中央には、成加河、伊福河、県河等あり、県河は其の源お肥後の国阿蘇郡の山々より発し、東に流れて此の国に入り、境河内村の辺に来て、鞍岡萩原等より流れ来る大小の諸河の水お会し、又東に流れて、篠戸河、〈祖母たけに及び、箱の峯の諸山より出る河なり、〉日影河、曾木河、綱瀬河、細見河等の水お混同し、此の国の都城の西辺に至り、分れて二岐と為り、都城の南北お流れて、遂に大海に注ぐ、頗る大河なり、故に此の国の城下は、即ち此の河の中の島なり、又此の河の注ぐ所の海は、自然に一箇の海湾にして、且つ此の国の北の境より流れ来る祝子(はふりこ)河、間土野(まとの)河等、皆な此の湾の内に注ぐ、此の間土野河は、其源二箇あり、共に豊後の国大野郡の諸山より出づ、西より流れ来るお阿加河と雲ひ、東より来るお小出河と雲ふ、此二つの河南に流れて、八戸(はつと)村の西辺に来て合して一河となり、南流して栗野名村と河島村の間お流れて、遂に此の湾内に注ぐ、此お以ての故に、此海湾は頗る運送便利の港なり、此お県(あがた)河の港と名け、亦東海港とも雲ふ、又此の県河港の南み五里許にして、細(ほそ)島と雲ふ処あり、此処も又一箇の海湾にして、天然に成れる海港なり、凡そ此の隣国に、細島より便要なる港はあることなし、故に日向一国の諸侯、関東へ交代の砌りは、上るも下るも皆此の処より舶お出入す、飯肥の伊東侯などは、自国にも港は数け処あれども、此処まで四日路来りて船に駕ること常例なり、是のみにても此の処の便要なるお知るべし、故に此の細島は、諸国の海舶輻湊し、日州第一の都会なり、総て当国の海浜は、豊後の界より耳河辺に至るまで、南北二十余里の海上に、小島の在ること甚だ多し、而して其の諸島の中に、稍大なる者は、北に島浦と名くる者あり、南に檳榔(ひろう)島あり、大小碁列して、以て此の国の藩屏おなす、故に眺望甚だ美麗にして、形勢極めて雄壮なり、