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日向経緯略記
当国元亀天正の比迄は、豊後の大友家の管轄に属せり、天正六年の冬、大友家飫肥の伊東が為に、薩摩の島津と甘河にて戦て大敗せしより、暫らく島津家の持となり、同十五年、豊臣の関白家、島津征伐の後ちは、領主しば〳〵替りて、慶長十九年に、有馬左衛門の佐直純、肥前の島原よりうつり来りて、此の国の主となり、元禄年中に至て、有馬は越前の丸岡にうつり、三浦壱岐守明敬此の地に主たり、其後ち正徳二年に至りて、三浦は作州の勝山にうつり、牧野備後守成英三州の吉田より移り、御当家〈◯内藤〉の領国となり、天正年中より延享四年まで、凡そ百七八十年の間に、此国の主お替へること八九度に及べるなり、今の君侯の御先祖は、奥州の磐城平より移りて、此の国の君と成らせ給へること、延享四年より此の文政八乙酉の年に至り、既に七十九年に及べり、