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西遊雑記

桜島は、大隅薩摩の中央にありて、小ならざる島にて、山おしまけ岳といふ、麓はくるくると取まわし、漁村数多有り、むかしは桜木数千本ありて、花の名高し、此故いく桜島と称す、国守の御茶屋も有なり、〈(中略)此島船にて海上おめぐれば、十里ありと土人の言也、〉安永八年亥九月〈◯九月、翁草作十月、〉朔日より地動き、海底鳴りて、潮鼎の涌るごとし、こはいかならんと、浦人さわぎおどろきて漁船に乗て、地方へ渡らんとせしに、海底より潮お吹上る事強くて、自おもふ方へよする事協はず、覆らんとす、兎や角とする内、志満け岳の頂より砂石お飛して、燃出る事火敷、北方の漁村お埋む事百余軒、死亡せるもの百六拾二人、痛つく者百余人、鹿児島お始め、近き所の浜浦の人は、二三里も逃しりぞく、〈予桜島の漁夫三四人に聞しに、その話し同じ、〉二十日計強く燃て、其後は煙り計立て今のごとし、又其頃海底より土砂吹上て、島となる所大小七つ、大なるは周く二十町余、小なるは一二丁、年々に高くなると、浦人の物語りき、〈◯中略〉すべて島の模様、入海の眺望、勝景の地也、〈◯中略〉真言律宗浄光寺といへるは、小高き所にて、此境内より桜島お見れば、風景一しほよし、