[p.1171]
麑藩名勝考
二大隅
多袂島〈続日本紀 日本紀作多禰者、指す所今の琉球なり、後にみゆ、唐書作多尼、明世法録作多襯、図書編作多芸州、蒼霞草、両朝平壌録並作多熱島、海東諸国記、日本風土記、武備志等並作種島佗尼什麼、登壇必究等作種子島、是我今俗の所書に作れるなり、〉 府東南三十九里、周匝四十五里、西去益救島七里、 村数十八 古は今の屋久島お益救能満の二郡として、多袂島に隷て一国とし、国造お置れき、多袂対馬並言こと、今の壱岐対馬のごとし、故に国史多袂島お係る事、比々枚挙に徨あらず、