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地理纂考
一三国総説
熊曾国 大隅国 和名抄に姶羅郡の次に肝付郡お載たれば、両郡相接したるが如くなれど然らず、前に雲る如く、姶羅郡は今の始羅郡にて、肝付郡との間に桑原、贈於、大隅の三郡隔り、其間廿里に近し、さて姶羅郡お今の始羅郡といへる証は、和名抄姶羅郡の郷名に、野裏、串伎、鹿屋、岐刀とある野裏は今の内の浦郷にて、頭に裏或は内等の字ありしが脱たるべし、串伎は串良なり、伎は字書に妓と同字にて、良の音に取れる事、神楽設楽の例に同じ、鹿屋は今の鹿屋郷なり、妓刀は詳ならざれども、其外の三け郷、今実地お踏に、和名抄に所謂姶羅郡に非ず、都て肝付郡なり、又肝付郡の郷名に、桑原、鷹屋、川上、雁麻とある桑原は、同国国府郷にて、鷹野も同国始羅郡溝辺郷なり、川上は詳ならざれど、同府郷に隼人城ありて、書紀に所謂川上梟帥が居城の遺地あり、 此梟帥が居お川上といへるも、地名に困れる事疑なければ、川上も此あたりなるべし、雁麻は詳ならず、されど其外の郷名にて肝付郡ならざるお思ふべし、正本には桑原雲々お姶羅郡、野裏雲々お肝付郡に載せたりしが、後世錯簡けむ、