[p.1195]
薩摩国は、さつまのくにと雲ふ、西海道に在り、東は大隅、日向、北は肥後に界し、西南は海に至る、東西凡そ十里、南北凡そ二十七里、其地勢は、東北連山環擁し、海に循て南に走り、又勾屈して東に共し、大隅に対して一大湾お抱き、川内川、国の中央お貫流して、西方海に入る、此国は、延喜の制、中国に列し、出水(いづみ)、高城(たかぎ)、薩摩(さつま)、甑島(こしきしま)、日置(ひおき)、伊作(いさく)、河辺(かはのべ)、穎娃(ゆの)、揖宿(いふすき)、給黎(きひれ)、谿山(たにやま)、麑島(かごしま)の十二郡お管す、後阿多(あた)郡お加へ、伊作郡の亡びたる後、更に異地に伊佐郡お置けり、明治維新の後、伊佐郡お南北に分ち、谿山郡及び大隅国北大隅郡お麑島郡に合せ、給黎、穎娃の二郡お揖宿郡に合せ、阿多郡お日置郡に合せ、高城、甑島、南伊佐の三郡お薩摩郡に合せ、河辺郡の硫黄三島、宝七島お割きて、大隅国大島郡に隷属せしめ、大隅国菱刈郡お、本国北伊佐郡に合せ、伊佐郡と称し、新に鹿児島市お設け、鹿児島県おして之お治せしむ、