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源平盛衰記

信俊下向事 丹波少将成経おば福原へ召下し、妹尾太郎に預置、備中国へ遣したりけるお、俊寛僧都、平判官康頼に相具して、薩摩国鬼界島へぞ放されける、〈◯中略〉 俊寛成経等移鬼界島事 薩摩方とは総名也、鬼界は十二の島なれや、五島七島と名附たり、端五島は日本に従へり、康頼法師おば、五島の内ちとの島に捨、俊寛おば白石の島に棄けり、彼島には白鷺多して石白し、故に白石の島と雲、丹波少将おば奥七島が内、三の迫の北硫黄島にぞ捨たりける、〈◯中略〉此島々へは、おぼろげならでは人の通事もなし、島にも人希也、自有者も此土の人には不似、身には毛長生、色黒して牛の如し、雲事の言も聞知ず、男は烏帽子もきず、女は髪もけづらず、木の皮お剥てさ子かづらにしたり、ひとへに鬼の如し、眼に遮る物は燃上火の色、耳に満る物は鳴下雷の音、肝心も消計なれば、一日片時も堪て有べき心地せず、賤が山田も打ざれば、米穀の類も更になく、園の桑葉も取ざれば、絹布の服も希也、昔は鬼の住ければ、鬼界の島とも名附たり、今も硫黄の多ければ、硫黄の島とぞ申ける、