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地理纂考
十二薩摩河辺郡
竹島 鹿児島県庁の南二十六里にあり、〈山川港より海上十三里、硫黄島に隷く、硫黄島は当島より南の方三里にあり、硫黄島在番より管轄す、〉平民八十二人、〈男三十六人、女四十六人、〉戸数十二、闔島山野村里隻蕩竹の一種お生茂せる故に、竹島の名お得たり、日本風土記、武備志、全析兵制録並に佗計志磨とあり、海東諸国記高島に作る、図書編鷹島に作る、今通じて竹島の文字お用ふ、孝徳天皇紀に竹島とあるは是なるべしと、或人雲り、然れど其確証お得ず、 島形 周廻三里、東西長く、南北狭く、高山峻嶺無し、人居島の北面にあり、土人処々に陸田お開き耕作す、四五年お経れば土力衰ふる故に、又別に新地お開く、 土俗 風俗大抵硫黄島に同じ、男子漁釣お専とし、婦人は農業お業とす、婦女歯お染て眉お払はず、島中樹林少く、蕩竹多きが故に、居宅皆笹葺にて、床壁垣簾より、家具器物朝夕の薪に至る、皆蕩竹にて、其用お成弁す、竹工に熟し、蕩竹お以て諸器物お製す、