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太閤記

島津修理大夫義久降参事 伊集院左衛門大夫、大和中納言殿へ走入て、義久事一命おたすけられくだされ候やうに、ひとへにたのみ奉る趣申けり、若御憐愍もなくおはしまさば、是非に及ばず、切腹に及ぶべきとふかうし見て申しかば、秀長よきにはからひみんとて、福智三河等お金吾に相添、木下半介お以て秀吉へなげき見給ふ、〈◯中略〉秀吉卿聞召給ひ、島津事数十年公儀お蔑如し奉り、自由の姦謀はなはだもつてかろからず、しかる間此ついで幸に根お絶ち葉お枯し、仰付くるべしといへ共、頼朝卿以来より、連綿として久しき島津お、ほろぼさんもいかヾしく思召、安堵せさせ給はんやうにのたまふ、〈◯中略〉五月〈◯天正十五年〉七日、義久御礼申上し処、かへつて御ねんごろの仰ありて、本領安堵せさせ給ふ、是によつて島津家老七人、いづれも人質出し奉り、御礼申上けり、