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地理纂考
十薩摩穎娃郡
伊作郡 鹿児島お距る事、西南六里十八町余なり東谷山南田布施北永吉伊集院に接す、〈◯中略〉伊作は和名抄に伊祚(いさく)郡又伊作〈注に伊佐久〉とあり、さるお今伊作郷のみありて郡はなし、此郡は和名抄に載する処も、日置阿多両郡の間にありて、今の伊作郷の地に能く当れり、又建久八年、薩摩国図田帳に、伊作郡二百町雲々と見へ、日置の郡と相並びて伊作の郷名は見へず、さて薩摩郡の内牛山、佐志、黒木、鶴田、宮之城、山崎大村、藺牟田の八け郷お伊佐郡といふ、此郡は古書に見へざれば、此地伊佐郡にて伊佐と伊作と相似たれば、後世伊作お誤れるにかと思へど、さては和名抄の郡の次第、出水、高城、薩摩、甑島、日置、伊祚、阿多、河辺雲々と続きたるに、地理符はず、今の伊作郷お古の伊作郡と見る時は、今も郡の次第和名抄に違はざるお、伊作郡お廃して伊佐郡お置れしは詳ならず、図田帳に伊作郡の名見へたれば、建久八年より後なる事疑なし、〈一郡一郷なるは和名抄揖宿郡揖宿、給黎郡給黎など見へたり、其外なおおほし、〉偖伊作郡お廃られしは、一郡とするに、足らざるが故に一郷として阿多郡に隷けられけむ、和名抄に阿多郡鷹屋とあるは、加世田の地名なるお、加世田は今川辺郡に属したり、其は何頃とも知られざれど、是等の改易ありしと、伊作も同時にてやありけん、かくて猶按ずるに、伊作郡お廃して薩摩国十三郡の内一郡闕たれば、薩摩郡の半お割て伊佐郡と号せしお、後に伊佐と誤れるにやあらん、其は如何といふに、図田帳に当時今の伊佐郡の地は、薩摩郡の内なればなり、此はいたく強説ながら、今按お述て後勘に備ふ、