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薩藩経緯記

貴藩は他邦に勝れたる霊地なるお以て、山岳は往々に金銀、銅鉄、錫鉛、汞、〈霧島山は殊に汞気多し、山内の池沼の中に、黄色なる垽の多きは、即ち是れ水銀の気の自然に蒸発したるなり、〉美玉、丹青、硫黄、礬石、諸薬石お含有し、其他白岩多くして、磁器〈館野の白焼の土缶、其名既に日本第一と称す、〉お製するに宜く、紫堊樟埴甚だ硬強なり、以て陶器〈加地木の玉流の土缶、及び壺家の甕と土缶、其性の強きこと天下に比類なし、〉お火しく焼出すべし、当藩の磁器は、世人の珍重する所なれども、製造すること多からざるお以て、国益お興さんことお図るには、先づよく其産物お他邦に輸すの乾没お審察し、実に境内お利潤すべきお察し得たる上は、何れ国君より局お立て、厳く法お定め、掛りの官人お置て、斡旋に非れば用お為すこと能はざる者なり、磁器陶器のみならず、諸産業皆然り、又樟木極多く、殊に気候温暖なるが故に、樟脳甚多し、且上品なり、〈◯中略〉若夫れ樟の幹おば船板に鋸せ、樟脳おば根より採しめば、此亦一箇の国益なり、又櫧木甚多く、日本一の上品なり、故に鎗柄、及び櫓楫舵等に製し、世人の珍重する所なり、然れども櫓木お大坂に輸の年額一万本に足らず、若此お年々十万本づヽも出すに至ては、国家の利益頗大なり、〈櫧お作る法は、六部耕作の法に詳なり、〉又当国の山深く、木多きに就て、胎骨捲素お造て、磐椀及び層橦提合、春蕾、果合、果盂、酒盃、台盤等の漆器お製し、其描金お風雅精妙にし、或は螺鈿或は剃紅等の画お清絶にして、火しく此お他邦に出すときは、此亦一箇の盛産なるべし、会津国は朱の無き処なり、然れども漆器お出すお以て、人民頗る殷なり、況や当国は日本第一の朱国なるおや、其大利お興さんこと必せり、又薩隅日三洲は、茶お作るに宜し、〈◯中略〉当藩の北境は、薩州も日州も肥後国球磨郡に界し、山遠谷深く、第十六番以下の気候行はる、宜く地お撰て茶園お立つべし、肥後球磨郡にても、旧来茶お作れども、相良領の茶は香烈甚強く、味美からず、作法の疎故なるが故なり、極上品お作るには精細に意お用ずんばあるべからず、〈極上品の茶お作る法は、六部耕作法に詳かなり、〉然れども中茶も亦多く作るべし、茶も多く出すに至ては、此亦盛なる産業なり、又貴藩は楮木お作るに甚宜し、故に古より種々の紙お出す、然れども国君より局お立て、斡旋こと厳ならざるにや、盛産と称するに足らず、宜く小倉、津和野、大洲、岩国等の製度の如くすべし、貴藩は元来万物豊饒にして、政事寛に過ぎ、百姓産業お俯励者少し、故に海浜に鹿角菜及び石花菜、海帯、海〓等海藻甚多けれども、此お採者少く、大川の畔に藍お作れば大利お興すべき空地極て多けれども、植る者希なり、海辺及び諸島には、茳蘺火しく生ずれども、席お織者甚少く、或は刈ずして腐朽せしむること有り、此の如きの類甚多くして、勝て紀載すべからず、此等の諸物は、人お傭て物産お興さしむると雖ども、国家お利するに足る、況や境内の人民お鼓舞して、地力お尽さしむるに於ておや、予〈◯佐藤信淵〉先年西海に漫遊せし時に、貴国の海浜お巡覧し、薩州山川辺の野中にて、茄子丈八尺余りある古木お視き、又大泊辺にて、一丈一尺許なる辣茄の古木お視たり、皆是れ気候の温なるお以て、幾年も枯ずして木の如くに成たるなり、此に因て貴藩の上地は、他国の及ぶ所に非ることお知る、然れば木綿、檳榔子、肉豆蔲、竜眼肉と雖ども作るべからざるもの無し、当国の気候斯の如くに温なり、故に烟草上品なること、他国の及ざる所なり、肥前島原領は、気候も僅なる差ひにて、骨お折て烟草お作れども及ぶこと能はず、此名葉なる烟草お多作て、他国に出さん者ならば頗る大なる物産なれども、国府の土地に限など雲ふ俗説に惑はされて、其他の郷村は作る者あること鮮し、斯在温暖の地に於て作法お精くして、此お植る者ならば、争で国府に伯仲する名葉の成就せざること有ん哉、太夫能く此理お熟察して、〈六部耕作のに、法烟草お極上品に作る秘訣あり、〉俗説に拘はること勿れ、又貴藩の如き煖国は、肉桂お多く植しむるも、利潤の甚厚き者なり、其他橙柑樒柑柚子等お始として、果物の煖地に宜き者極多く、且鬱金、莪朮、大黄、巴豆、甘草等の薬物も、亦火しくして、名花奇草勝て記すべからず、何れも皆他国に出せば国家の利なり、且又当国諸島の甘蔗お作ることは、信に天地応合の産物にて、殊に年来専ら業とする所なれば其作法と製煉に遺策はあるまじきなれども、諸島の数多ある、土地の広大なる、心お尽して此お経営せば、沙糖木魚等の年額次第に増加はること有るべし、