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古事記伝

伊伎島は、万葉十五〈二十五丁二十六丁〉に、由吉能之麻と見え、和名抄にも壱岐島由岐とあるに因て、由伎お古訓と思人あれど、書紀継体巻の歌に以祇とよみ、此記にも伊字おかき、壱字も由の仮字にあらねば、本は伊伎なること明けし、然れども懐風藻に、伊支連と雲姓お目録には雪連とかき、又かの万葉に由吉とあるなどお以て思に、必由伎とも通はし雲べき故ある名義と見えたり、〈行も通はして伊伎とも雲り、これも同じ例なり、〉故思に書紀天武巻に、斎忌此雲踰既とある斎忌は伊牟、伊波市、由麻波留、由々志、由豆、伊豆など、さま〴〵に雲言にて、伊と由と通へり、かヽれば斎忌も、古は伊伎とも雲べし、さて〈若くは息長帯比売命の、辛国お征に幸行しおりなどにもや、〉此島にして神祭り坐とて、斎忌のことありけむ故の名にもやあらむ、〈斎忌古は大嘗に限るべからず〉又は辛国に渡るに、先此に舟とめて息む故に、息の島か〈されど国所名は、凡そ昔いさゝかの因縁お以てつけそめしが多かれば、後世の空考は、理こそさもあらめ、実には当れりやあらずや定めがたくなむ、さりとてはたひたぶるに不可知とて有べきにもあらねば、人も我も心のかぎり推量言はするなり、〉