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蝦夷は、古く、えみしと称し、後に、えぞと謂へり、本土の北辺に在りて、南は津軽海峡お隔てヽ陸奥国に対し、北は宗谷海峡お隔てヽ樺太州に対し、千島列島は其東北に走りて、露領柬察加に連る、東西凡そ百二十五里、南北凡そ百十九里、其地勢は、石狩十勝の二岳、全島の中央に対峙し、支脈四布、諸大川率ね源お此に発せり、原野壙漠、土壌頗る肥沃なりと雖も、土人唯漁猟お業とし、曾て耕稼お知らず、風俗、言語、皆内地人と異なり、 此地、固と国郡の名なし、東蝦夷、西蝦夷、北蝦夷等に大別し、所々部落の称あり、明治維新の後、箱館府お置きしが、後廃して開拓使お置き、蝦夷お改めて北海道と称し、分て渡島(おしま)、後志(しりへし)、石狩(いしかり)、天塩(てしほ)、北見(きたみ)、胆振(いぶり)、日高(ひたか)、十勝(とかち)、釧路(くしろ)、根室(ねもろ)、千島(ちしま)の十一国とし、渡島国に、亀田(かめだ)、茅部(かやべ)、上磯(かみいそ)、福島(ふくしま)、津軽(つがる)、檜山(ひやま)、爾志(にし)の七郡、後志国に、久遠(くどう)、奥尻(おかしり)、太櫓(ふとろ)、瀬棚(せたな)、島牧(しまこまき)、寿都(すつヽ)、歌棄(うたすつ)、磯屋(いそや)、岩内(いはない)、古宇(ふるう)、積丹(しやくたん)、美国(びくに)、古平(ふるひら)、余市(よいち)、忍路(おしよろ)、高島(たかしま)、小樽(おたる)の十七郡、石狩国に、石狩(いしかり)、札幌(さつほろ)、夕張(ゆうばり)、樺戸(かばと)、空知(そらち)、雨竜(うりう)、上川(かみかは)、厚田(あつた)、浜益(はましけ)の九郡、天塩国に、増毛(ましけ)、留萌(るヽもつへ)、苫前(とままい)、天塩(てしほ)、中川(なかかは)、上川(かみかは)の六郡、北見国に、宗谷(そうや)、利尻(りいしり)、礼文(れふんしり)、枝幸(えさし)、紋別(もんへつ)、常呂(ところ)、網走(あはしり)、斜里(しやり)の八郡、胆振国に、山越(やむくし)、虻田(あふた)、有珠(うず)、室蘭(もろらん)、幌別(ほりべつ)、白老(しらおい)、勇払(ゆうふつ)、千歳(ちとせ)の八郡、日高国に、沙流(さる)、新冠(にいかふ)、静内(しづない)、三石(みついし)、浦河(うらがは)、様似(さまに)、幌泉(ほろいづみ)の七郡、十勝国に、広尾(ひろお)、当縁(とうふち)、大津(おほつ)、中川(なかかは)、河東(かとう)、河西(かさい)、十勝(とかち)の七郡、釧路国に、白糠(しらぬか)、足寄(あしよろ)、釧路(くしろ)、阿寒(あかん)、網尻(あはしり)、川上(かはかみ)、厚岸(あつけし)の七郡、根室国に、花咲(はなさき)、根室(ねもろ)、野付(のつけ)、標津(しへつ)、目梨(めなし)の五郡、千島国に、国後(くにしり)、択捉(えとろふ)、振別(ふれへつ)、紗(しや)那(な)、蘂取(しへとろ)の五郡等総て八十六郡お置けり、後開拓使お廃し、札幌、箱館、根室の三県お置きしが、更に北海道庁お建て、之お治せしむ、而して蝦夷の事は、尚ほ外交部露西亜篇、人部蝦夷篇等に載せたれば、宜しく参考すべし、 樺太州は、からふとしうと雲ふ、蝦夷の一部にして、本と皇国の版図なりしが、安政元年の通好条約に於て、遂に両国雑領の地となる、明治八年に至り、樺太全州お露国に譲与し、其代として、我国は千島群島のうるつぷ島以下十八島お得たり、同三十八年九月、日露講和条約により、露国は樺太州北緯五十度以南お我国に割譲す、是に於て樺太州の半部は、復た我版図に帰せり、