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比古婆衣

えみし まづ日本書紀神武巻〈戊午年十月〉に、大倭の国見丘にて、八十梟帥お誅たまひ、また道臣命に勅して、其余党おうたせ給へる時、皇軍密旨お奉てうたへる歌二首の中に、愛弥詩烏、毘囊利毛々那比苔、比苔破易倍乃毛、多牟伽比毛勢儒と、みえたる愛弥詩は、八十梟帥等おさしていへる称なり、〈◯中略〉さてまたえぞが島より、陸奥に渡り来て暴行ぶる党類おも、愛弥詩といへるなるべし、しかるに大倭なるは、〈そのほかにありけむも〉はやくなごりなく滅亡せたりしかば、おのづから陸奥わたりなるおのみ呼ぶ名となりて、やがてそれが本郷の号にもおふせて、えみしの国と称ふ事とはなりしなるべし、〈但し上代には、その愛弥詩の、本郷あることおばしらで、たゞ其種類お然呼びてありつるお、後にその本郷の知られたるなるべし、〉かくてそのえみしお、蝦夷とかくは、古事記景行段に、はじめて見えたり、そははやくより蝦字の訓お借りて、夷字に加へて、書くことヽ定められたりつるものなるべし、