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北海道志
四地理
戸口 石狩国 札幌区〈東は空知、南は胆振国千歳有珠二郡、西は同国虻田郡、及び後志国小樽郡、北は海お帯て石狩に連る、〉口一万四千零八、戸三千零十六、町二十九、村十八、〈◯中略〉 石狩郡〈東は空知、南は札幌、西は海、北は厚田樺戸二郡に界す、方言いしかりは塞の義なり、水脈屈曲し、上流塞る如くに見ゆ、故に名とす、〉口二千八百三十五、戸五百六十五、町十、村五、〈◯中略〉 夕張郡、〈東北は空知郡、南は胆振国千歳、日高沙流、西は札幌に界す、夕張は往昔千歳領にして、千歳土人の往来する所なり、然るに其地嘗て人なし、十勝土人郷飲の時違言あり、郷隣の悪む所となり、其妻之に由て死す、因て此お去て沙流厚別に之き、其頭目こくわぬに依る、年あり、こくわぬ問て曰、爾郷に帰らんと欲する乎、曰願はざるなりと、遂に沙流の聚に貫す、居る数年、こくわぬ曰、夕張山其麓小川数条、鮭多く、鷲獺其他の毛物に富み、且土地肥沃、千歳川亦近し、彼地に移る如何と、其人遂に移て此に家す、後千歳川の下もちかえ村の女お聚り、子三四人お生む、長して兄弟不和、別居して、まおいしゆくはいに家する者あり、其地は毎夏千歳土人来て耕耘お為し、遂に相親睦嫁聚するに至る、因て千歳らんこうしより預目土人移居し、漸く村落お成せり、此夕張の開くる所以にして石狩領の土人原と此に在らず松前藩の時、上夕張は松前監物、下夕張は蠣崎三弥支配地たり、〉口二十七、戸八、村〈未定〉 樺戸郡、〈東は雨竜、南は石狩、空知、西は厚田、浜益、北は天塩国増毛留萌二郡に界す、〉口十八、戸二、村一、〈◯中略〉 空知郡、〈東は上川、及び十勝国上川郡、南は夕張及び日高沙流、西は石狩樺戸、北は雨竜郡に界す、〉口二十七、戸六、村〈未定、〉 雨竜郡、〈東は上川及び天塩国上川、南は空知、西は樺戸、及び天塩国留萌苫前二郡、北は同国天塩中川に界す、〉口二十三、戸五、村〈未定、〉 上川郡、〈東は十勝国上川郡、西南は空知、西北は雨竜及び天塩国上川郡に界す、松前藩の時、土谷丹下支配地たり、〉口一百十八、戸四十一、村〈未定、〉 厚田郡、〈東は樺戸、南は石狩、西は海、北は浜益郡に至る、方言あつたは、あつしの皮お取るの義なり、〉口一万二千二百五十四、戸一千五百九十二、村十、〈◯中略〉 浜益郡、〈東は樺戸、南は厚田郡西は海、北は天塩国増毛郡に界す、此地本名ましけなり、浜お加るは、後世幌泊お麻志計と唱る故なり、麻志計は鴎居るの義にて、漁時に鴎多き故に名とす、一説甘麻志計と称す、穀お担ふの義なり、此地昔時穀お作り、他方へ運搬せし故に此名ありと、〉口一千百四十六、戸百三十三、村六、〈◯下略〉