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蝦夷拾遺
元地理
地理大概 松前に次者 根部田村、〈十戸不足、二十余人、〉札前村、〈十余戸、四十余人、〉赤神村、〈十戸不足、二十余人、〉両垂石村、〈十戸許、二十人、〉茂草村、〈二十戸、七十余人、〉清部村、〈四十余戸、百四十余人、〉江良町村、〈百戸許、百八十余人、〉原口村、〈十戸許、三十余人、〉小砂子村、〈二十戸許、九十余人、〉石崎村、〈六十戸余、百八十余人、〉羽根差村、〈十戸許、四十人許、〉山子崎村、〈十戸許、十人余、〉塩吹村、〈五十戸許、百五十人、〉扇石村、〈十一戸、六十人、〉木子村、〈六十戸、百六十人、〉原歌村〈十戸、十人、〉上之国村、〈二百十余戸、三百七十人、〉喜多村、〈九十戸、三百六十人、〉大留村、〈六十余戸、三百三十人、〉五勝手村、〈百余戸、三百五十余人、〉江差村、〈千余戸、三千五百余人、此地諸国商船来る、〉泊村、〈百九十余戸、二百人余、〉尾山村、〈二十戸許、三十人余、〉田沢村、〈八十戸許、二百三十人余、〉伏木戸村、〈三十戸許、百余人、〉厚沢部村、〈二百三十戸、九百余人、〉五輪沢村、〈十戸許、十余人、〉乙部村、〈二百五十戸、八百二十人、〉小茂内村、〈五十余戸、百九十人余、〉大茂内村、〈四十戸、百三十人、〉突府村、〈二十戸余、八十人許、〉三谷村、〈四十戸許、百三十人、〉蚊柱村、〈六十戸許、二百人、〉相沿内村、〈百戸許、二百人余、〉泊川村、〈九十余戸、百三十人許、〉熊石村、〈百八十余戸、六百人、〉小島、〈茂草村の沖凡三里余に在、民家なし、周廻三十人許、〉大島、〈江良町村の沖凡五里に在、周廻二十里余、民家なし、常に烟お吐く、〉奥尻島、〈熊石村より西北の沖凡十里余に在、周廻十里許、民家なし、〉 以上松前より西北に在、松前より熊石え陸路廿六里余、 下及部村、〈三十戸、凡十余人、〉上及部村、〈四十戸許、百七十人余、〉大沢村、〈八十戸許、三百七十人許、〉荒谷村、〈二十戸許、廿余人、〉炭焼沢村、〈三十戸許、四十人許、〉礼髭村、〈五十戸許、百五十余人、〉吉岡村、〈五十戸許、二百六十人余、〉宮歌村、〈八十余戸、三百三十人余、〉白府村、〈七十戸、二百五十人、〉福島村〈八十戸、三百四十人、〉知内村、〈七十戸、二百五十人、〉木子内(きこない)村、〈五十戸許二百人余、〉札狩村、〈三十余戸、百五十人、〉泉沢村、〈五十余戸、百五十人、〉釜谷村、〈二十戸許、八十人許、〉三石村、〈三十余戸、百四十人許、〉当別村、〈十戸許、三十人余、〉茂辺地村、〈六十余戸、三百人余、〉富川村、〈三十戸、百四十人余〉三谷村、〈五十戸、二百卅人余、〉戸切地村、〈百戸許、三百八十人、〉有川村、〈七十戸、三百六十人、〉濁川村、〈四十戸許、二百余人、〉文月村、〈三十戸、百余人、〉上山村、〈五十戸、二百七十人、〉鍛冶村、〈四十戸、百八十人、〉大野村、〈六十戸許、二百五十人、〉一の渡村、〈六十戸、二百八十人許、〉七重村、〈五十戸、二百六十人、〉上湯川村、〈三十戸許、百二十人余、〉下湯川村、〈五十戸許、二百余人、〉亀田村、〈三十戸、百四十人余、〉箱館村、〈四百五十戸許、二千五百人余、此所も諸国の商船湊来りて、市おなすこと松前に同じ、依て松前江差箱館お三港と雲〉〈と雲、〉尻沢部(しりしまひ)村、〈四十戸許、百四十人、〉柴海苔村、〈三十戸許、百四十人許、〉銭亀沢村、〈十余戸、五十余人、〉夕泊村、〈二十余戸、九十人許、〉石崎村、〈六十戸許、三百余人、〉小安村、〈四十戸余、百六十人、〉世多良村、〈十戸許、二十人許、〉 以上松前より東南に在、松前より世多良え陸路三十里余、都合七十七村、六千八百余戸、二万六千人余、 せきない〈垂石村と界お接へ海岸行程十里余、奥の島の中央なる山頭お界とす、里数并えぞの戸数詳ならず、他国の商人来て諸産お買ひ集る商家一戸あり、松前氏え運上と唱へ、利潤の内ち分ち納むるお以て、其商家お運上屋と雲、〉 うすへち〈運上屋一戸皆同海岸里数七里〉 せたない〈五里よ〉 ふとろ〈三里よ〉 おうた〈十里よ〉 すつき〈十里よ〉 しまこさき〈五里よ〉 すつう〈七里よ〉 おたすつ〈三里よ〉 いそや(いそやの北川向へしりへつ)〈十里よ〉 いわない〈三里よ〉 ふるう〈十一里〉 しまこたん〈九里よ〉 ひくに〈十五里〉 ふるひら〈三里よ〉 かみよい〈四里よ〉 しもよいち〈三里よ〉 もいれ〈八里よ〉 しくすし〈十里よ〉 おたるない〈七里よ〉 いしかり〈運上屋八戸、海岸里数十里余也、八戸の内一戸は鮭一色お出し、七戸は諸色お商ふ、此地島中にての大河あり、えぞ皆其流に臨て居す、(中略)総て四方へ便利の地にして、相開るの後は、国の府とも成るべき土地なり、〉 あつく〈一戸下てんほ迄同三りよ〉 ましけ〈十里よ〉 とままい(とまヽいの北はほろ)〈十里〉 てんほ〈三十里〉 そうや〈五十里余舟お繫て風波の憂なし、此地よりからふと島え渡るべし、昔より松前人の行至るは、此所お以限とす、〉 とうへつ〈川あり、えぞの川舟通ず、〉 ゆうへつ〈川あり、暫えぞの川舟通ず、〉 とうふつ〈湖水あり、えぞ舟通ず、〉 あわしり〈川及湖あり、えぞ舟通ず、〉 うらましへつ〈川あり、暫えぞの川舟通ず、〉 しまり〈川あり、暫えぞの川舟通ず、〉 へれけとまり〈繫舟風波の憂なき入江なり〉 しれとこ〈とうへつよりしれとこまで、海岸里数百五十里余、此内地へは、古へより松前人行ことあたはず、故運上屋なし、諸産はそうやへ持来て交易す、都ての風土は異ることなし、〉 てうれ〈てしほの沖七里に在、周廻六里、運上屋なし、まんげしりへ来交易す、〉 まんげしり〈てんほの沖六りに在、周廻四里よ、運上屋一戸、〉 りいしり〈そうや境内はつかいへつの沖五里にあり、周卅里、運上屋一戸、〉れふんしり〈そうやの境内のつしまむの沖十里にあり、周七十里、りいしりの運上屋交易、〉 以上西蝦夷之地と雲(○○○○○○○○○) とい〈運上屋一戸、たるまへ迄同じ、世多村と界お接す、此内地海岸里数三里余、〉 しりきしない〈三里よ〉 おさるべ〈二里よ〉 かまべ〈八里よ〉 のくおい〈七里よ〉 ゆうらつふ〈八りよ〉 あふた〈十五里よ〉 うす〈八りよ〉 えとも〈十一りよ〉 ほろべつ〈九りよ〉 しらおひ〈七りよ〉 あひろ〈二りよ〉 たるまへ〈三りよ〉 しこつ〈十四戸、十里よ、六戸は海岸に在、八戸はしこつ川の岸にあり、各境お極め諸産お買ふ、しこつ川の末いしかり川え落つ、〉 さるあしへつ〈一戸十九りよ〉 にいかつふ〈一戸七りよ〉 しふちまり〈三戸六りよ〉 みついし〈一戸七りよ〉 うらかわ〈一戸十二りよ〉 あふらこま〈一戸八りよ〉 とかち〈三戸、四十りよ、〉 しらすか〈一戸十りよ〉 くすり〈一戸七りよ〉 あつけし〈一戸、此地江海にて東の渚に商家あり、海口に小島あつて波お防ぎ、舟お繫ては風の憂なし、しこたん、くなじり等の諸島へわたるにも便利也、(中略)凡平原にして田畑となるべき地広大也、相開くるの後、島中第一の湊となるべし、〉 きいたつふ〈一戸、四十り、古より松前人至る処此地に尽く、〉 さしるい〈入江あり〉 もいれふ〈しれとこと接界、さしるいより是迄海岸二十よ里、此内地へは古より松前人行ことあたはず、産物はきいたつふへ持来て交易、風土異なることなし、〉 ゆるり〈きいたつふ沖十町余にあり、周り一里余なり、えぞ家及産物なし、商舟此島に泊ることあり、〉 しこたん〈きいたつふ東の沖凡十里よに在、周二十余里よ、えぞの戸口詳なることしらず、産物はきいたつふへ持来交易す、是に属する十島左のごとし、〉 たらく もしりか はるかるもしり しいうし ゆうる あきろヽ もいもしり すいしよ〈商舶是に泊することあり〉 うかつとき きなしとまうふ〈十島、人居にならぬ小島なり、〉 くなしり〈きいたつふより海行七里よ東北にあり、周一百里余おとしるべと雲所に運上屋一戸あり、えぞ皆此に集て交易す、松前の人至処も此地お限とす、〉 おとしるべ〈きいたつふより此地に渡る舟お、つなぐに最宜し、〉 へとくり せしきい とびう ちやしま るろい あといや〈此地よりえとろふへ渡るべし、小船お繫ぐ許の風波お防ぐ隈あり、〉 ひらう おん子へつ ちくに はうなけらむい〈以上十二所は各海岸に臨て、えぞ家あり、此外山に入ても在所あれど戸口詳なることしるべからず、〉 以上東蝦夷地と雲、えぞ地に至て地名お記す所は、総て一村の称に非ず、国郡或は県庄に類すべし、東西運上屋凡七十余戸也、