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西蝦夷日誌
四編
しやこだん場所(○○○○○○○)〈◯中略〉 しやこたん場所〈◯註略〉当所はくつたらんにて、しやこたんと雲は、場所の総名なり、浜形戌向にして、後ろ平山、前に島あり、酉戌の方おかむいと対して一湾おなしたり、土人多し、〈文化五壬午改十五軒七十五人、安政二乙卯改十七軒七十七人、◯中略〉山嶮にして熊鹿多く、雑樹巨材お出す、地味肥沃にして海に海草多し、 びくに(○○○) びくとは小石の義、うには有る、此辺総て小石原なる故に号しもの也、〈◯中略〉びくに運上や、〈◯中略〉びくには川の名なりしが、今場所の総名となりしなり、本名はおたにころといふ也、訳して砂浜の義、土人〈文政壬午改十四軒人別五十四人、安政改七軒十四人、〉如此四分一に成たり、 ふるびら(○○○○)〈◯中略〉 ふるびら運上屋、〈◯註略〉地形左丸山崎、右ちやのせふい岬の間一小湾おなし、後は平山南方に川有、其両岸沢目平地、丑寅向にして宜しき泊なり、古平は川の両岸赤崩平の名也、今援の総名と成し也、土人〈文政壬午改七十三軒三百七十四人、安政乙卯改五十五軒二百四十一人、〉多し、 よいち領(○○○○)〈◯中略〉 よえち運上や、〈◯中略〉名義はいうおちなり、いうとは温泉の事、おちはある、此水源に温泉有故号る也、其地所は川の事也、此処は本名しゆまおいと雲る処也、〈◯中略〉土人多し、〈文政壬午改九十九軒五百六十四人、文政乙卯改七十九軒四百九十三人、〉 おしよろ領(○○○○○)〈◯中略〉 おしよろ運上や、〈◯註略〉名義うしよろにして、懐の事也、此処懐の如く湾に成し故号く、〈◯中略〉湾口亥向にして、後に平山つヾき、凡百五六十町にておしよろ岳ありて、雑木陰森たり、また其辺り李花多く、満開の時は海面に映じて、棹入漁舟は水晶盤裏お渉るかと思はる、土人多し、〈文政壬午三十軒百廿五人、安政乙卯七十一軒二百九十七人、〉 たかしま領(○○○○○) 高島といへども、本名とかりしゆまにして、訳て水豹(あさらし/とかりしゆま)岩の義也此処湾の中に水豹の多く寄集る岩有、故に号しもの也、また一説には、前の岩の形水豹に似たる故号るともいへり、〈◯中略〉高島運上や、〈◯註略〉前船懸り宜し、地形後山にして、右左とも岬有、内一湾おなし、深くして船繫よし、〈◯中略〉土人有、〈文政壬午四十一軒人別百九十九人、安政乙卯十九軒七十一人、〉 おたるない(○○○○○) 訳て沙路沢にして、其地は石狩境の川也、今此場所の総名となるは、当所の土人総て、其沢目に住せしが故なり、〈◯中略〉おたるない運上や、〈◯中略〉地形高島よりあつた領、こぎひるの大湾の奥に成、丑寅向にして、後はしゆまさん岳よりかつない岳等聳え、海岸は近年迄歩行路無りしお、今度其岸には桟お架け、岩お鑿、石お砕て、今は可也に通行成様になりたり、〈◯中略〉土人多し、〈文政壬午改四十三軒百五十人、安政乙卯改二十六軒百二人、〉