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西蝦夷日誌
五編
石狩領(○○○)〈◯中略〉 いしかり元小屋、〈◯註略〉他場所にては運上やと雲、此処にて元小やと雲は、石狩十三け所の元小やと雲より起し事なり、〈◯中略〉いしかり、訳て行詣て先か不見形お雲、其儀何故に号初めしや、水源にいしかり岳あり、其より来る川なる故なり、又一説に、いとはいしやにて無と雲儀、しかりとは塞ると申事にて、此川筋屈曲して塞り見へざる故号る哉、〈地名解〉地形西北向にして、総て平地、地味浜より七八町上より真土に成、湿地多く、草生宜しく、追々陸になる程樹木蕃茂したり、昔は当川筋十三け処に分たり、〈とくひた、しゆまヽつふ、上下ついしかり、はつしやふ、千百七十人、上かはた三百七十二人、下ゆうはり四百九十二人、上ゆうはり三百七十二人、下さつほろ百九十四人、下かはた百二人、ないほ廿九人、上さつほろ百九十四人、しのろ百卅八人、〆三千六十七人、文化六年改、〉其頃は如此人別も有しお、此余上川には六百人計も別になりしが、今は追々人員減じぬ、実に遺憾ならずや、〈文政壬午改千百五十八人、安政乙卯改六百七十人、〉 あつた領(○○○○) あつた、訳して楡皮取(あつた)といふ儀にて、此川楡皮多きが故に号し也、〈◯中略〉昔し此運上やあつたに有りしが故、場所の総名となせども、今の運上屋の地は、本名おしよろこつと雲処なり、其訳懐の地と雲、此湾の好きより号しと雲、〈◯中略〉おしよろくち、〈運上や◯中略〉地形酉戌向にして、後ろ平山前は崖に柵お結て、其下暗礁多し、前船泊にして大船お容る、並てにうふつ、石狩、出稼や立並び、頗る繁華の地也、土人多し、〈文政壬午改十九軒七十二人、安政乙卯改九軒四十一人、〉年々和人の入込高壱万人余もあるべし、 浜益毛(○○○) 本名ましけいにして、宜しきと雲儀なれども、是同名あれば、浜の字お冠らしめて、当所の地名とす、〈地名解◯中略〉浜益毛〈運上や◯中略〉地形おふい岬、おかむい岬の大湾中、またあいかふほろくんへつ岬の小湾おなし、未申向にして、風波常に荒く、左にうかしゆま、右にてきさまの間、沢目深く、後ろ峨々たる高山、〈◯中略〉土人多し、〈文政壬午八十四軒二百九十七人、安政乙卯五十四軒二百〇四人、〉此辺地味宜しく、総て漁事の暇には畑作おなす也、