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西蝦夷日誌
六編
増毛(○○) ましけ、訳て宜敷事に取る也、其義おまた訳せば、ましは鴎の事にして、けはけいの略にて、成るとの義也、〈◯中略〉ましけ運上屋、〈◯註略〉地形北向のつかとはしべつ岬の間の一湾おなす、依てほろ泊の名ある也、〈◯中略〉土人多し、〈文政改八十五軒四百三十七人、安政改三十七軒百三十六人、〉此処に十一軒家居し、残りは別苅(べつかり)辺に住す、 るヽもつへ領(○○○○○○) 本名るヽもおつぺと雲、るヽは夕、もは静、おつはある入る、ぺは水の事也、此川自然と奥深く夕入る故に号く、是運上屋元の川の名也、今此地の総名となる、〈◯中略〉運上屋〈◯註略〉地形亥子向、前にしりえとの岬有、東にえんると対し、其間一湾おなし、船懸りよし後ろ方川筋、総て平地、〈◯中略〉土人多し、〈文政壬午改九十九軒四百七十二人、安政乙卯改六十二軒二百十一人、〉 苫前領(○○○) とまヽい、訳して延胡索〈綱目〉有る義、本名とまおまい也、総て此辺り延胡索多きが故号しもの哉、〈◯中略〉苫前運上屋、〈◯註略〉北ははほろ、南のつとの間お一湾とし、戌亥向、〈◯中略〉土地肥沃、雑穀野菜能みのる、〈◯中略〉当節土人人別多くてしほより移住者也、〈文政壬午改四十八軒二百十一人、安政乙卯改二十町百九人、〉