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東蝦夷日記
初編
山越内領(○○○○)〈◯中略〉 山越内〈制札、会所、旅宿所、板蔵五、武器蔵、備米蔵、馬屋二、鍛冶屋、漁屋雑蔵、建屋、〉本名やむうし内にて、栗多沢(やむうしない)の義、其地今のさかや川也、昔し其所に会所有し故、場所の総名となる、此所の本名はばろしべうしとて、往古関柵お結し時用ひし木の切株多お以て号しと、 虻田領(○○○)〈◯中略〉 ふれない〈◯註略〉是おあふたの会所といへり、其儀は元虻田に有りしが、文政五壬午閏正月十五日、臼岳焼の時、此所へ移したる故、其名残れるなり、地形西南お受、船懸り悪し、皆あふたに懸り、荷役するなり、海お隔て内浦岳に対し、風景宜し、〈◯中略〉土産鮭是は多く、れりへつの川筋にて取、馬にて援に出すもの多し、冬鯡、春鯡、海鼠、昆布、ふのり、鱈、雑魚種々有、又巨材多く、椎葺あつし多く、土人〈文政壬午改百七十軒人口八百人、安政丙辰改百六十四軒人口六百余、〉多し、