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東蝦夷日誌
二編
宇須(うす)〈◯中略〉 うす〈◯註略〉と雲て、場所の総名となれり、東西北地とも、如斯よき湾お皆うしよろと称る処多し、箱館おうしよろけしと雲しは億(うしよろ/ふところ)の端(けし/はし)也、西北のおしよろ、是うしよろの転し、うしよろこつは億の地所の義、北地のうしよろも如億湾よりして号し也、此地本名はめつか〈会所元〉と雲、其義太古の海嘯(つなみ)に、外は皆流れしが、此所計残しが故也、是恐は今の弁天社〈◯註略〉の地か、土人多し、〈文政改百三軒、四百十七人、安政改九十三軒、四百六十人、〉 ほろへつ領(○○○○○)〈◯中略〉 ほろへつ、〈◯註略〉傍に妙見稲荷社有、此所文化度前は松前家臣細田儀右衛門総所也、其後もろらんと一場所の様に成しが、今度又境標お立たり、土人多し、〈文政改五十八軒、二百三十一人、安政改五十二軒、二百六十人、〉 白老領(○○○)〈◯中略〉 しらおい、〈◯中略〉土地東南向、素浜船沖懸り、土地平地なり、〈◯中略〉名義しらうは虻の事なり、此地に多きが故号し也、土人〈文政改七十二軒三百三十余人、安政改八十二軒三百九十九人、〉