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東蝦夷日誌
四編
にいかつふ領(○○○○○○)〈◯中略〉 にいかつぷ〈◯註略〉船々遠浅にて、潟無故に、産物積取時も沖掛り、時化荒候時は逃船とす、〈◯註略〉往昔は松前家臣工藤平右衛門給所なり、びぼくと雲しお、文化六年、呼声の不宜に依て、にいかつぷと改む、名義にいかつぷは、楡松皮の義なり、此川木皮多き故号也、びぼくも此会所元の地名にあらず、此川の名なり、土人皆川筋に住す、〈文政改七十一軒、人別三百九人、安政改九十一軒、人別三百八十一人、〉産物、鮭、昆布、煎海鼠、鰯、椎葺、干鱈、鮫売、其余雑魚多し、 しつない領(○○○○○)〈◯中略〉 しつない〈◯註略〉弁天社〈◯註略〉下に小流有、是お以て号し、本名ふつない也、名義曾祖母沢の義也、往昔此所に老母神の在せしと、其より此場所は広まりしと、此沢に、昔は人家多く有しや、種々陶器欠け出る也、今に匕目縄め等面白き物有、土人〈文政改壬午改百四軒、人別五百廿三人、安政卯改百廿七軒、人別六百四十一人、〉多く、産物、鯡、鮭、鱒、昆布、鮫、鱈、海草類、椎葺、鹿皮、雑魚、 三石領(○○○)〈◯中略〉 三石〈◯註略〉土地少し岬に成、上は平山下砂浜、午未向、大船五六町沖懸り、小舟岸に繫ぐ、〈◯註略〉本名みとしとて、樺桶の事なり、従是十町東の川の名お以て総名とす、此処地名はしゆふとにて、此沢の口に蘆荻ある以て号し也と、又和人今三石の字お冠らしめ、此沖に三つの大暗礁有故とも雲り、〈◯中略〉土人〈文政改五十六軒、二百廿二人、安政改四十九軒、二百廿人、〉多く、土産、昆布、鮭、鰯、鯡、鱈、鹿皮、海鼠、雑魚、粕也、