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西蝦夷日誌
五編凡例
一文化度近藤守重が献策に、津石狩に大府お置んことお書れしが故、余〈◯松浦武四郎〉其地お春の雪融、秋の暴雨にしば〳〵往来して実験せしが、此地に府お開んには、禹王再誕の後ならで難かるべしとおもふがまヽ、其辺お探索するに、ついしかり川三里お上り、札幌樋平の辺りぞ、大府お置の地なるべしとおもふゆへに、是お酋長るぴやんけ、〈ついしかり〉もにおま〈さつほろ〉に再三審し、以て鎮将竹内堀村垣の三名に言し置ものなり、 一他日此札幌に府お置玉はヾ、石狩は不日にして大坂の繁昌お得べく、十里お遡り津石狩は伏見に等しき地となり、川舟三里お上り札幌の地ぞ帝京の尊ふきにも及ばん、左有時は、ゆうふつ東海岸は北陸山陰の両道にも及び、手宮高島は兵庫神戸の両港にも譬ふべき地とならん、また札幌より新道お切らば、臼、虻田、岩内の地も其日の便お得、東上川川筋より、天塩十勝の地にも何日か馬足お運ばさしめんと、依て此新道おして此巻首にしるし置ものなりと、文久四甲子の仲冬、多気志楼の主人弘誌