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東遊雑記
十三
蝦夷と称せるは、夷の総名にして、島の名にはあらず、古書に奥州蝦夷越後蝦夷と記せるお以てしるべし、〈◯中略〉今世にいふ蝦夷の地は、必ず松前侯の支配にもあらず、島の主といふもなく、領主地頭といふ事はしらぬ所にて、日本にていふ一門々々に、おとなと称せる夷有て事済なりといふ、元より五穀不生の地、金銀銭も不通にして、おの〳〵山に狩し、海上に漁りお業とし、色々の産物お集置て、日本の商船に夫お交易せる事、無智の夷なりといへども、上古の風俗お伝へ、偽りお言事なく、父母に仕ふるに至て孝なり、父母死せる時には夷の法にて、死体お窓より出し、夫お山に葬りて、後は追善などヽ雲事は更になく、葬の法ありて、草お結びかけて、おのおの跡ずさりして家に帰る、夫より木の皮お以て笠お製し、天の日お見ずとて、三年の間は門戸お出るには、笠お著せずと言事なし、此外にも風俗の感ぜるもの語り多し、