[p.1333][p.1334]
東遊雑記
十四
乙部浦百余軒の町にて、漁士計の町なれども、家居あしからず、此地に於ては先例ありて、蝦夷御巡見使御三所へ御目見へに出る事也、〈◯中略〉御目通りへ出る蝦夷、都合十四人なり、扠御前へ出る時には、蝦夷の礼式にや、男夷は男夷計、女夷は女夷計、手と手お取くみ、雁のつらなりしやふに並び立て、夫よりおの〳〵頭お低くさげ、足およこへ〳〵とふみて、庭へ通りて、男夷はむしろの上に箕(あけう)居し、両手お組てひざの上に置て、頭おさげずして座せり、女夷は砂上に横ひざにして並び座せり、頭の髪は赤熊天窓にして、壱人の衣服は、日本の地黒の【G糸・旨】に、五色の糸にて祝義著にせる総ぬひの小袖お、蝦夷衣に仕立直したるお著て、年のころ五十余に見へし壱人郡内じま、此外何れも日本の古著おなおせし衣服なり、中にも蝦夷にて製せるあつしと称する衣もあり、是はあつしと雲木の皮お以ておりし物なり、婦人の頭にも、髪お切て五六寸計にして、前後左右へ童子の天窓のごとく撫たりせしものにて、生ぎわよりうしろの方は剃てあり、衣は男夷とおなじ仕立にして、是も日本の古著木綿の、紺の染模様なるものなり、帯は日本のさなだおり、或はあつし、或はくけひも、いろ〳〵ありて、男女とも二重廻して、前にて結びてあり、男夷は髯或は二三寸、或は五六寸ほう〳〵と生、眉毛黒長し、 或書に、眉毛はつヾきて、一文字にはへて有と記せり、此度蝦夷人お見しに、一文字につヾきしはなし、ちよつと見れば、日本人の眉毛よりもふときゆへに、つヾきしやふに見ゆれども、つヾきし眉毛は更になし、 眼中するどく、黒目玉にして、顔色赤く、画る樊噲張飛の顔お見るにひとし、長も低からずして、大成丈なるもの也、婦夷は髭もなく、色も日本人のごとく、生れ付にはさして替りし事なく、男夷女夷とも、小耳には鐶お入てあり、其環に大小ありて、銀或は銅、あるひは鉄も見ゆれども、右図〈◯図略〉のごとし、初めに入し穴の切て、環の入れざるは、新に入穴おあくると見へて、破れし穴耳たぶに二つあるもあり、女夷は首にしとけといふものおかけて居るなり、悉くかくるにもあらず、衣服のよきお著たる女夷のかけて居るお見れば、貴賤のわかちなるにや、また富饒の夷なるゆへにや、是又詳ならず、